資料カテゴリ:こどもの地域ケア

第2回小児在宅医療緩和ケア研究会「小児在宅医療の現状」のまとめ

  • 期日:2011年9月3日(土)
  • 場所:聖路加看護大学講堂
シンポジウム1「小児在宅医療の現状」

 

2011年9月3日(土)、台風12号が関西を四国・近畿を直撃する中、
聖路加看護大学講堂で第2回日本小児在宅医療・緩和ケア研究会が開かれた。
シンポジウム1「小児在宅医療の現状」のまとめを書かせていただきました。

人工呼吸器をつけた子の親の会(バクバクの会)の大塚孝司さん、
埼玉医科大学総合医療センター小児科の田村正徳さん、
にのさかクリニックの二ノ坂保喜さんの順で発表がありました。

vol2-1

【シンポジストの皆さん】

【台風の中参加してくださった方に感謝!】

人工呼吸器をつけた子どもの在宅医療 医療的ケアから生活支援行為へ
人工呼吸器をつけた子の親の会(バクバクの会) 大塚孝司さん
<バクバクの会とは>
バクバクの会は、1989年5月に淀川キリスト教病院の院内グループ(7家族)として結成された。1990年4月に平本歩さんが3歳で退院。小児が人工呼吸器をつけて在宅生活を始めた最初のケースとなった。1990年5月に全国組織になり、現在、会員数520人の団体となっている。正会員290人の内訳は、在宅204、入院入所30、旅立組53である。
<基本理念>
基本理念は人工呼吸器をつけていても、どんな障害があっても、ひとりの人間でありひとりの子どもであること。子ども達のいのちと思いを大切にということ。
<バクバクっ子たちの暮らし>
バクバクっ子たちの暮らしぶりがまず紹介された。普通の子と同じように学校に通い、プールに入り、外出する。電車や新幹線に乗ったり、飛行機に乗って沖縄やハワイまで行く。ただ、乗車の際に、診断書を求められたり、飛行機では割増料金を求められることがある。ちなみに、大阪から沖縄まで行ったときのストレッチャー料金は49,000円、他に運賃が必要で、介護者の分もあるので負担は軽くない。
<医療的ケア>
次に在宅で行なわれている医療的ケアの話があった。痰の吸引、経管栄養、酸素などはその代表であるが、在宅では日々の暮らしを支える生活支援行為と捉えている。特定の個人に対するケアを、そのケアに対応した研修を受けたものが実施する場合、リスクを最小にする工夫が必要で、緊急時に対応するためには普段からの関わりが必要である。バクバクの会では、生活便利帳を作成したり、まいど!医療的ケアという研修事業を全国で開催している。
<1人暮らしするバクバクっ子>
バクバクっ子の最初の世代はすでに26歳になった。今、関西の成人した3人のバクバクっ子が、アパートで一人暮らしを始めている。それは、どんな障害があっても、安心して普通の暮らしができる社会を目指すということにつながる。
<いのちの宣言>

最後に、「バクバクっ子・いのちの宣言」の紹介があった。脳死臓器移植の動きなどから、バクバクっ子たちのいのちが脅かされている。

「わたしたち、にんげんは、わたしのいのちを、せいいっぱいいききるだけです。」
 いのちの宣言については、http://www.bakubaku.org/をご覧ください。

新生児医療と重症児の在宅医療
埼玉医科大学総合医療センター小児科 田村正徳さん

田村正徳さんは、埼玉医大で新生児医療を行う医師である。
わが国の新生児医療における重症児増加の問題を、データを基にわかりやすく解説していただいた。

<新生児医療の進歩と現状>
新生児医療の進歩により、わが国の新生児(生後4週未満)死亡率は世界トップの水準となり、以前は救命が難しかった子どもも救命されるようになった。その一方で、人工呼吸器などをつけたままNICUに長期入院する子どもが増え、わが国のNICU病床不足の一因となっている。
<墨東病院事件>
墨東病院事件という痛ましい出来事がある。これは、出産間近で脳内出血の症状が見られた東京都内の女性が、「当直医が他の患者の対応中」「空きベッドがない」などの理由で7つの病院から受け入れを断られ、出産後に死亡したものである。これは墨東病院事件として社会問題となった。
 
その後行われた厚生労働省の調査では、平成21年度に全国の総合周産期母子医療センターでの母体搬送受け入れや新生児搬送受け入れが困難な理由のトップはNICU(新生児集中治療室)の満床だった。
<NICU病床が不足している理由>
ではなぜNICU病床が不足するようになったのか。このところ、総出生数は減少しているにも関わらず、出生体重1500g未満の低出生体重児が増加している現実がある。特に、超低出生体重児(1000g未満)は以前はほとんど助からなかったが、今は新生児医療の進歩により死亡率が低下している。通常は40週で生まれる子どもが、24週で生まれると、NICUでの平均在院日数は8か月を超える。つまり、未熟で重症な子どもが入院するほどNICU占有期間が長くなるのである。しかし、NICUを増床することは、新生児科医や看護師の不足のため困難である。 NICU増やしたいけれども増えない。そこで、長期入院している子どもを早く退院させようという議論が芽生えてきた。
<長期入院する子どもたち>

NICUに長期入院する子どものうち、肺が未熟な子どもはやがて自分で呼吸ができるようになって退院し、染色体異常や奇形症候群は心臓病などのために死亡する可能性が高い。しかし、仮死で生まれ重度障害が残った子どもはなかなか帰れない。

そこで、新生児蘇生法講習会が全国で開かれて仮死でなくなる子どもが減ったり、NICU入院児支援コーディネーターの制度が導入され、長期入院児に対する一定の効果を挙げている。その結果、NICUに長期入院する人工呼吸器をつけた子どもは減ってきているが、追加調査ではNICUから人工呼吸器をつけたまま退院している子どもは増えている。退院後の行き先の大部分は自宅であることがわかった。
しかし、長期NICU入院児の在宅移行はなかなか進まない。その理由の半数以上は家族の受け入れが難しいことである。家族の声としては、レスパイトケアがない、経済的負担が大きい、訪問診療や訪問看護がない、緊急時の入院施設がないなどがあがっている。

田村さんは、重度の先天性心疾患で在宅医療を行った子どもの例を出し、NICUへ入院しているときの5分の1の費用で在宅医療(診療+訪問看護)ができていることを示した。しかしそれは、主に母親の多大な負担によるところが大きい。

<小児の在宅医療と在宅移行>

小児在宅医療の現状の調査として前田浩利さんが行ったものがある。この中で、今までに、小児(0歳~19歳)の患者を在宅で診療したことがありますかという問いに対し、今までに10人以上の小児を診療したことがある在宅療養支援診療所はわずかに31か所だった。また、小児を受けるにあたり、紹介元の病院が、いつでも受け入れてくれる保証があれば診療してもよい(39.0%)、小児科医とのグループ診療なら診療してもよい(27.9%)という回答だった。

NICU入院児の在宅移行をすすめるモデルとして、いざというときに地域中核小児病院が、在宅移行や緊急入院やレスパイトケアを、重心施設はレスパイトケアを、それで訪問看護ステーションや在宅療養支援診療所にしっかりみていただくという循環モデルが必要である。

「小さなたね」に願いを込めて
にのさかクリニック 二ノ坂保喜さん

にのさかクリニックは、外科医、救急医だった二ノ坂さんが、福岡市に1996年に開設した診療所である。
開業以来、外来診療とともに、在宅ケア、在宅ホスピスケアに力を入れてきた。
2011年4月、医療法人にのさかクリニックは、クリニックの近くの民家を改修して、レスパイトケア、訪問看護、訪問介護を行う「小さなたね」を開設した。

<在宅ホスピスケアを通して学んだこと>

在宅ホスピスは、尊厳ある生を最期まで支える人権運動である。対象はがん患者のに限られることはなく、難病、認知症、重度障害児にも適応されるべきである。この考え方は、現在進行しているがん患者を専門的に対象とする「選択的緩和ケア」に対し、「包括的緩和ケア」と呼ぶことができる。

わが国のホスピス・緩和ケア病棟は、がんとエイズだけを対象としているが、これは日本だけのゆがんだ考え方である。ホスピス発祥の地である英国、米国では、多くのホスピスが在宅プログラムを持っているが、わが国のホスピスはほとんど在宅のプログラムを持っていないし、在宅や地域とのつながりが低い。ホスピスが、死をみつめていくという市民の意識形成にどれだけ関与できているのか、ただ単にがん患者の収容施設になっていないか、いろんな問題を変革していくダイナミズムもっているのか、それが私の問題意識である。

選択的緩和ケアは、医者と看護師を中心とするチームで広がりがない。それに対して、包括的緩和ケアでは、すべての疾患・病気を対象とし、病理を選ばない。その人たちを支えている地域との関わりが大切である。
 死そのものが医療の中に取り込まれる必要は全くない。本人にとって死は最大のイベントであるし、家族にとっても大きな出来事である。死を生活のなかに取り戻す、看取りの文化が大切である。

<ひかりちゃんとの出会い>

重度障害児の在宅ケアに取り組むきっかけは、ひかりちゃんという当時15歳の少女との出会いだった。脳障害があり、生活全般に介護を要するひかりちゃんが、肺炎を繰り返し、気管喉頭分離術をうけて人工呼吸器をつけて退院することになり、在宅でのサポートの依頼があった。驚いたのは、その病院では、退院前のカンファレンスを在宅医を交えて行なうのははじめてということだった。

重症児にはいろんなことが起こるが、どういうときはどうすればいいのかという対処方法がはっきりしていれば、家族は安心できる。
重症児の在宅ケアは基本的にすべて緩和ケアというつもりで行う必要があると感じた。在宅移行を経験して、在宅開始までの手続き、在宅開始後は在宅と病院との比重の問題、在宅ケアチームの役割と協力体制など、課題が大きい。子どもの場合、特に病院、在宅医、子どもホスピス(将来的に)などとの緊密な連携が大切だと感じた。

ひかりちゃんの在宅生活に関わるようになり、母親、家族、訪問看護、訪問リハビリ、訪問学級など、豊かな生活をしていることがわかった。その生活の豊かさを維持するためには、家族の介護負担軽減のための、レスパイトケア(一時預かり)が必要であると痛感した。

<小さなたねを開設して>

2011年4月、地域生活ケアセンター「小さなたね」は、医療法人にのさかクリニックの一施設として誕生した。民家を購入して改修し、レスパイトケアと、訪問看護ステーション、訪問介護ステーションを1か所に併設したものである。一時預かり(日中一時支援)と、在宅支援を連携させることを目的とした布陣である。所長は、ひかりちゃんのおとうさんになってもらった。ここを利用しているから、必ずここの訪問看護を使うということではないし、高齢者の訪問看護も行う。将来的には短期入所 こどもホスピスを目指ていきたいと考えている。

ひかりちゃんのお父さんの考え方がある。命が誕生して、障害がおこって、死に至る。死はいのちの中に内包していて、それをいろんなもので守っている。しかし、病気や障害によってそれが裸のいのちの状態にあるのが重症児ではないか。
 はだかのいのちは誰かが守らないと存続できない。だから、はだかのいのちに学ぶという姿勢が必要。重症児が生きられるということはどんな人も生きられる社会ということである。彼らはものを言えない。声なき声にみみをすますこと、この子らのいのちに学ぶということが大切である。

子どものための緩和ケアの中で、二ノ坂さんは、ホスピス・緩和ケアのための環境デザイン(著 松本 啓俊・竹宮 健司:鹿島出版会)という書籍の一説を紹介した。
 「イギリスの小児ホスピスから学ぶこと。既存の医療システムの中に子どもホスピスをどのように組み込むかではなく、利用者である子どもと家族のニーズに即した支援体制をつくりあげる柔軟な発想力が必要。施設ですべてのケアを提供するのではなく、在宅の生活を補完する役割として施設を捉えなおす。」これを、建築家の方が述べておられるのに感動した。

小さなたね開設して、半年で登録は30名である。2~6名が利用している。通所含めて家族の負担が非常に大きく、その軽減が必要である。また、地域の行政・医療格差が大きいことを感じるので、このような場を通じて情報交換が必要である。

<これからの姿>
重症児の生き様が社会のなかで共有されていないので、子ども達のいのちの姿を地域に出していくことが必要である。母親が獲得した「ケアの力」を地域コミュニティの中で共有、還元する方法を考えていくことも大切である。最終的には、病院、在宅と連携した、地域で支える子どもホスピスへ発展していきたい。
【 感 想 】
今回のシンポジウムでは、新生児医療の現状と問題点、超重症児が地域に帰るようになってきているが家族の負担が非常に大きいこと、負担軽減のためレスパイトケアが必要であること、子どもの在宅医療や地域ケアには、緩和ケアの視点が必要であること、すでに大きくなった人工呼吸器をつけた当事者は、公共交通機関での外出に挑戦し、一人暮らしも始まっていること、などさまざまなことがわかった。会場では、小児の在宅医は誰がになうのかなどに人工呼吸器をつけた子どもの飛行機搭乗や、小児の在宅医ついて活発な意見交換があった。
 高橋と一緒に司会を担当する予定であった訪問看護ステーションほのか(松山市)の梶原厚子さんが、台風12号の影響で参加できなくなりました。梶原さんからのメッセージを電子メールでいただき、それを会場でお伝えした。とてもいいメッセージだったのでここに改めて紹介する。

<梶原厚子さんのメッセージ> 
今回は参加できず申し訳ありませんでした。
いつも思うのは、知らんぷりできない環境を作ることと、個別の支援会議やケア会議をどれだけの人数で何回開催できるか、そこで、どれだけ真剣にその人のことを話し合ったか、これに尽きると思います。

重い病気や障害を持つ子どもさんをもつ家族は、決して解決を急いでなくて、どうにもならない社会の不条理は良く知っています。ただ、真剣に対応してほしいだけです。真剣に真面目に向き合うと、時間がかかっても解決できなくても、許しあって、育ちあっていくような、そんなことだと思います。

訪問診療や訪問看護は、行けばいい、あればいい、というものではないですよね。自分たちが出来ること、努力してることをどれだけアピールしても、その人にとって必要なことが明らかになっていなくて、ただただ、薬を処方したり、胃瘻や吸引をする。寝たきり老人を量産した時代に、今度は別の形で戻っていきそうな心配さえする生活の質ではなくて、家族の都合や、関わる者の都合優先。高専賃や小規模多機能が健全に機能するのは、訪問診療や、訪問看護のような、外付けのサービス提供者の良心にかかっていると思います。
その良心や踏ん張り具合が、子ども達の未来を作ると思います。
「ケア会議をしましょう!」そこにお金が付く仕組みが欲しいですね。  梶原厚子

悪天候の中ご参加いただいた皆様、また今回は参加できなかったけれども、
参加の予定をしてくださった皆様に感謝いたします。わーい(嬉しい顔)
お子さんと日々の暮らしを支えておられるご家族、関係者の皆様に、やさしく、あたたかな風が吹きますように。

こどもの地域ケア第2回小児在宅医療緩和ケア研究会「小児在宅医療の現状」のまとめ

期日:2011年9月3日(土) 場所:聖路加看護大学講堂
シンポジウム1「小児在宅医療の現状」

 

2011年9月3日(土)、台風12号が関西を四国・近畿を直撃する中、
聖路加看護大学講堂で第2回日本小児在宅医療・緩和ケア研究会が開かれた。
シンポジウム1「小児在宅医療の現状」のまとめを書かせていただきました。

人工呼吸器をつけた子の親の会(バクバクの会)の大塚孝司さん、
埼玉医科大学総合医療センター小児科の田村正徳さん、
にのさかクリニックの二ノ坂保喜さんの順で発表がありました。

シンポジストの皆さん

【シンポジストの皆さん】

台風の中参加してくださった方に感謝!

【台風の中参加してくださった方に感謝!】

人工呼吸器をつけた子どもの在宅医療 医療的ケアから生活支援行為へ
人工呼吸器をつけた子の親の会(バクバクの会) 大塚孝司さん
<バクバクの会とは>
バクバクの会は、1989年5月に淀川キリスト教病院の院内グループ(7家族)として結成された。1990年4月に平本歩さんが3歳で退院。小児が人工呼吸器をつけて在宅生活を始めた最初のケースとなった。1990年5月に全国組織になり、現在、会員数520人の団体となっている。正会員290人の内訳は、在宅204、入院入所30、旅立組53である。
<基本理念>
基本理念は人工呼吸器をつけていても、どんな障害があっても、ひとりの人間でありひとりの子どもであること。子ども達のいのちと思いを大切にということ。
<バクバクっ子たちの暮らし>
バクバクっ子たちの暮らしぶりがまず紹介された。普通の子と同じように学校に通い、プールに入り、外出する。電車や新幹線に乗ったり、飛行機に乗って沖縄やハワイまで行く。ただ、乗車の際に、診断書を求められたり、飛行機では割増料金を求められることがある。ちなみに、大阪から沖縄まで行ったときのストレッチャー料金は49,000円、他に運賃が必要で、介護者の分もあるので負担は軽くない。
<医療的ケア>
次に在宅で行なわれている医療的ケアの話があった。痰の吸引、経管栄養、酸素などはその代表であるが、在宅では日々の暮らしを支える生活支援行為と捉えている。特定の個人に対するケアを、そのケアに対応した研修を受けたものが実施する場合、リスクを最小にする工夫が必要で、緊急時に対応するためには普段からの関わりが必要である。バクバクの会では、生活便利帳を作成したり、まいど!医療的ケアという研修事業を全国で開催している。
<1人暮らしするバクバクっ子>
バクバクっ子の最初の世代はすでに26歳になった。今、関西の成人した3人のバクバクっ子が、アパートで一人暮らしを始めている。それは、どんな障害があっても、安心して普通の暮らしができる社会を目指すということにつながる。
<いのちの宣言>

最後に、「バクバクっ子・いのちの宣言」の紹介があった。脳死臓器移植の動きなどから、バクバクっ子たちのいのちが脅かされている。

「わたしたち、にんげんは、わたしのいのちを、せいいっぱいいききるだけです。」
 いのちの宣言については、http://www.bakubaku.org/をご覧ください。

新生児医療と重症児の在宅医療
埼玉医科大学総合医療センター小児科 田村正徳さん

田村正徳さんは、埼玉医大で新生児医療を行う医師である。
わが国の新生児医療における重症児増加の問題を、データを基にわかりやすく解説していただいた。

<新生児医療の進歩と現状>
新生児医療の進歩により、わが国の新生児(生後4週未満)死亡率は世界トップの水準となり、以前は救命が難しかった子どもも救命されるようになった。その一方で、人工呼吸器などをつけたままNICUに長期入院する子どもが増え、わが国のNICU病床不足の一因となっている。
<墨東病院事件>
墨東病院事件という痛ましい出来事がある。これは、出産間近で脳内出血の症状が見られた東京都内の女性が、「当直医が他の患者の対応中」「空きベッドがない」などの理由で7つの病院から受け入れを断られ、出産後に死亡したものである。これは墨東病院事件として社会問題となった。
 
その後行われた厚生労働省の調査では、平成21年度に全国の総合周産期母子医療センターでの母体搬送受け入れや新生児搬送受け入れが困難な理由のトップはNICU(新生児集中治療室)の満床だった。
<NICU病床が不足している理由>
ではなぜNICU病床が不足するようになったのか。このところ、総出生数は減少しているにも関わらず、出生体重1500g未満の低出生体重児が増加している現実がある。特に、超低出生体重児(1000g未満)は以前はほとんど助からなかったが、今は新生児医療の進歩により死亡率が低下している。通常は40週で生まれる子どもが、24週で生まれると、NICUでの平均在院日数は8か月を超える。つまり、未熟で重症な子どもが入院するほどNICU占有期間が長くなるのである。しかし、NICUを増床することは、新生児科医や看護師の不足のため困難である。 NICU増やしたいけれども増えない。そこで、長期入院している子どもを早く退院させようという議論が芽生えてきた。
<長期入院する子どもたち>

NICUに長期入院する子どものうち、肺が未熟な子どもはやがて自分で呼吸ができるようになって退院し、染色体異常や奇形症候群は心臓病などのために死亡する可能性が高い。しかし、仮死で生まれ重度障害が残った子どもはなかなか帰れない。

そこで、新生児蘇生法講習会が全国で開かれて仮死でなくなる子どもが減ったり、NICU入院児支援コーディネーターの制度が導入され、長期入院児に対する一定の効果を挙げている。その結果、NICUに長期入院する人工呼吸器をつけた子どもは減ってきているが、追加調査ではNICUから人工呼吸器をつけたまま退院している子どもは増えている。退院後の行き先の大部分は自宅であることがわかった。
しかし、長期NICU入院児の在宅移行はなかなか進まない。その理由の半数以上は家族の受け入れが難しいことである。家族の声としては、レスパイトケアがない、経済的負担が大きい、訪問診療や訪問看護がない、緊急時の入院施設がないなどがあがっている。

田村さんは、重度の先天性心疾患で在宅医療を行った子どもの例を出し、NICUへ入院しているときの5分の1の費用で在宅医療(診療+訪問看護)ができていることを示した。しかしそれは、主に母親の多大な負担によるところが大きい。

<小児の在宅医療と在宅移行>

小児在宅医療の現状の調査として前田浩利さんが行ったものがある。この中で、今までに、小児(0歳~19歳)の患者を在宅で診療したことがありますかという問いに対し、今までに10人以上の小児を診療したことがある在宅療養支援診療所はわずかに31か所だった。また、小児を受けるにあたり、紹介元の病院が、いつでも受け入れてくれる保証があれば診療してもよい(39.0%)、小児科医とのグループ診療なら診療してもよい(27.9%)という回答だった。

NICU入院児の在宅移行をすすめるモデルとして、いざというときに地域中核小児病院が、在宅移行や緊急入院やレスパイトケアを、重心施設はレスパイトケアを、それで訪問看護ステーションや在宅療養支援診療所にしっかりみていただくという循環モデルが必要である。

「小さなたね」に願いを込めて
にのさかクリニック 二ノ坂保喜さん

にのさかクリニックは、外科医、救急医だった二ノ坂さんが、福岡市に1996年に開設した診療所である。
開業以来、外来診療とともに、在宅ケア、在宅ホスピスケアに力を入れてきた。
2011年4月、医療法人にのさかクリニックは、クリニックの近くの民家を改修して、レスパイトケア、訪問看護、訪問介護を行う「小さなたね」を開設した。

<在宅ホスピスケアを通して学んだこと>

在宅ホスピスは、尊厳ある生を最期まで支える人権運動である。対象はがん患者のに限られることはなく、難病、認知症、重度障害児にも適応されるべきである。この考え方は、現在進行しているがん患者を専門的に対象とする「選択的緩和ケア」に対し、「包括的緩和ケア」と呼ぶことができる。

わが国のホスピス・緩和ケア病棟は、がんとエイズだけを対象としているが、これは日本だけのゆがんだ考え方である。ホスピス発祥の地である英国、米国では、多くのホスピスが在宅プログラムを持っているが、わが国のホスピスはほとんど在宅のプログラムを持っていないし、在宅や地域とのつながりが低い。ホスピスが、死をみつめていくという市民の意識形成にどれだけ関与できているのか、ただ単にがん患者の収容施設になっていないか、いろんな問題を変革していくダイナミズムもっているのか、それが私の問題意識である。

選択的緩和ケアは、医者と看護師を中心とするチームで広がりがない。それに対して、包括的緩和ケアでは、すべての疾患・病気を対象とし、病理を選ばない。その人たちを支えている地域との関わりが大切である。
 死そのものが医療の中に取り込まれる必要は全くない。本人にとって死は最大のイベントであるし、家族にとっても大きな出来事である。死を生活のなかに取り戻す、看取りの文化が大切である。

<ひかりちゃんとの出会い>

重度障害児の在宅ケアに取り組むきっかけは、ひかりちゃんという当時15歳の少女との出会いだった。脳障害があり、生活全般に介護を要するひかりちゃんが、肺炎を繰り返し、気管喉頭分離術をうけて人工呼吸器をつけて退院することになり、在宅でのサポートの依頼があった。驚いたのは、その病院では、退院前のカンファレンスを在宅医を交えて行なうのははじめてということだった。

重症児にはいろんなことが起こるが、どういうときはどうすればいいのかという対処方法がはっきりしていれば、家族は安心できる。
重症児の在宅ケアは基本的にすべて緩和ケアというつもりで行う必要があると感じた。在宅移行を経験して、在宅開始までの手続き、在宅開始後は在宅と病院との比重の問題、在宅ケアチームの役割と協力体制など、課題が大きい。子どもの場合、特に病院、在宅医、子どもホスピス(将来的に)などとの緊密な連携が大切だと感じた。

ひかりちゃんの在宅生活に関わるようになり、母親、家族、訪問看護、訪問リハビリ、訪問学級など、豊かな生活をしていることがわかった。その生活の豊かさを維持するためには、家族の介護負担軽減のための、レスパイトケア(一時預かり)が必要であると痛感した。

<小さなたねを開設して>

2011年4月、地域生活ケアセンター「小さなたね」は、医療法人にのさかクリニックの一施設として誕生した。民家を購入して改修し、レスパイトケアと、訪問看護ステーション、訪問介護ステーションを1か所に併設したものである。一時預かり(日中一時支援)と、在宅支援を連携させることを目的とした布陣である。所長は、ひかりちゃんのおとうさんになってもらった。ここを利用しているから、必ずここの訪問看護を使うということではないし、高齢者の訪問看護も行う。将来的には短期入所 こどもホスピスを目指ていきたいと考えている。

ひかりちゃんのお父さんの考え方がある。命が誕生して、障害がおこって、死に至る。死はいのちの中に内包していて、それをいろんなもので守っている。しかし、病気や障害によってそれが裸のいのちの状態にあるのが重症児ではないか。
 はだかのいのちは誰かが守らないと存続できない。だから、はだかのいのちに学ぶという姿勢が必要。重症児が生きられるということはどんな人も生きられる社会ということである。彼らはものを言えない。声なき声にみみをすますこと、この子らのいのちに学ぶということが大切である。

子どものための緩和ケアの中で、二ノ坂さんは、ホスピス・緩和ケアのための環境デザイン(著 松本 啓俊・竹宮 健司:鹿島出版会)という書籍の一説を紹介した。
 「イギリスの小児ホスピスから学ぶこと。既存の医療システムの中に子どもホスピスをどのように組み込むかではなく、利用者である子どもと家族のニーズに即した支援体制をつくりあげる柔軟な発想力が必要。施設ですべてのケアを提供するのではなく、在宅の生活を補完する役割として施設を捉えなおす。」これを、建築家の方が述べておられるのに感動した。

小さなたね開設して、半年で登録は30名である。2~6名が利用している。通所含めて家族の負担が非常に大きく、その軽減が必要である。また、地域の行政・医療格差が大きいことを感じるので、このような場を通じて情報交換が必要である。

<これからの姿>
重症児の生き様が社会のなかで共有されていないので、子ども達のいのちの姿を地域に出していくことが必要である。母親が獲得した「ケアの力」を地域コミュニティの中で共有、還元する方法を考えていくことも大切である。最終的には、病院、在宅と連携した、地域で支える子どもホスピスへ発展していきたい。
【 感 想 】
今回のシンポジウムでは、新生児医療の現状と問題点、超重症児が地域に帰るようになってきているが家族の負担が非常に大きいこと、負担軽減のためレスパイトケアが必要であること、子どもの在宅医療や地域ケアには、緩和ケアの視点が必要であること、すでに大きくなった人工呼吸器をつけた当事者は、公共交通機関での外出に挑戦し、一人暮らしも始まっていること、などさまざまなことがわかった。会場では、小児の在宅医は誰がになうのかなどに人工呼吸器をつけた子どもの飛行機搭乗や、小児の在宅医ついて活発な意見交換があった。
 高橋と一緒に司会を担当する予定であった訪問看護ステーションほのか(松山市)の梶原厚子さんが、台風12号の影響で参加できなくなりました。梶原さんからのメッセージを電子メールでいただき、それを会場でお伝えした。とてもいいメッセージだったのでここに改めて紹介する。

<梶原厚子さんのメッセージ> 
今回は参加できず申し訳ありませんでした。
いつも思うのは、知らんぷりできない環境を作ることと、個別の支援会議やケア会議をどれだけの人数で何回開催できるか、そこで、どれだけ真剣にその人のことを話し合ったか、これに尽きると思います。

重い病気や障害を持つ子どもさんをもつ家族は、決して解決を急いでなくて、どうにもならない社会の不条理は良く知っています。ただ、真剣に対応してほしいだけです。真剣に真面目に向き合うと、時間がかかっても解決できなくても、許しあって、育ちあっていくような、そんなことだと思います。

訪問診療や訪問看護は、行けばいい、あればいい、というものではないですよね。自分たちが出来ること、努力してることをどれだけアピールしても、その人にとって必要なことが明らかになっていなくて、ただただ、薬を処方したり、胃瘻や吸引をする。寝たきり老人を量産した時代に、今度は別の形で戻っていきそうな心配さえする生活の質ではなくて、家族の都合や、関わる者の都合優先。高専賃や小規模多機能が健全に機能するのは、訪問診療や、訪問看護のような、外付けのサービス提供者の良心にかかっていると思います。
その良心や踏ん張り具合が、子ども達の未来を作ると思います。
「ケア会議をしましょう!」そこにお金が付く仕組みが欲しいですね。  梶原厚子

悪天候の中ご参加いただいた皆様、また今回は参加できなかったけれども、
参加の予定をしてくださった皆様に感謝いたします。わーい(嬉しい顔)
お子さんと日々の暮らしを支えておられるご家族、関係者の皆様に、やさしく、あたたかな風が吹きますように。

(司会・文責 高橋昭彦)

(司会・文責 高橋昭彦)