小児在宅医療の新時代へ
多職種地域連携とend-of-life care
細谷亮太氏
日本小児在宅医療・緩和ケア研究会代表
障がいをもつ子どもが、長生きするようになってきている。例えば子どもが40歳くらいまで生きる場合、65歳の両親がいたとする。家で子どもと一緒に暮らす両親が、これから子どもを看取る状況が来るかもしれない。そんなとき、この子を産まなければよかったと親が思ったり、生まれてこなかったらよかったと子どもが思うような状況は、私たちはつくってはいけない。
生まれてきたいのちを、自分たちの仲間として大切にすること。
産んでよかった、生まれてよかったと言えること。
こういう状況をつくることが大切である。
座長 梶原厚子氏 NPO法人あおぞらネット理事
副島賢和(そえじま・まさかず)氏 品川区立清水台小学校昭和大学病院内学級(さいかち学級)担当
さいかち学級は、大学病院に入院する子どもたちのための院内学級であり、1年間で150人から200人くらいの子どもに関わる。在院日数が少なくなり平均9.4日となった現在、一人の子どもが在籍するのは5日程度。
院内学級の意義としては、教育側では「学びを保障する」ことだが、医療側ではこれはピンとこない。そこで、「発達を保障する」というと、医療側にも響く。このように、連携するには、相手の文化を知らなければならない。
表現があまりできない子ども、してこない子どももいる。そんなときサインをどうよむのか。何年も前のつらかった治療経験を今になって話す子どももいる。
子どもたち みんなで一緒にいないと育たない。
副島氏はいくつかの詩を紹介した。
「ぼくは幸せ」…宮崎涼くん(作)
お家にいられれば幸せ
ごはんが食べられれば幸せ
空がきれいだと幸せ
みんなが
幸せと思わないことも
幸せに思えるから
ぼくのまわりには
幸せがいっぱいあるんだよ
病気を抱える子どもたちが経験する2つのKの喪失がある。
それは、感情の喪失と関係性の喪失。中には、病気が続く子どもの両親の仲が悪くなることがある。私たちにもわかるのだから、当然子どもにもそれはわかる。それを子どもは自分のせいだと思う。
子どもの生活は連続している。入院しても退院しても、なるべく切らずに、できるだけつないでいくことが大切。
Doing の前にBeing(何かできることの前に、そこに存在していることだけで価値があるということを伝える関わりをする。)
赤い鼻などいろんな小道具の入ったカバンを持って演台に立たれたが、時間の関係で小道具は一切登場しなかったのが残念だった。
長島 史明氏 あおぞら診療所新松戸理学療法士
新生児集中治療室で(NICU)リハビリに取り組んできた長島氏。
ある子どもが、手術や治療を乗り越えて、1年近くの入院のあと自宅へ退院した。しかし、両親は注入や吸引などの医療的ケアに追われて満足に休む暇もなかった。
病院から帰ったあと、どうですかとお母さんに聞いた。
母:この子を死なせてはいけない、そんなことばかり考えていました。
でも子どもは亡くなってしまいました。
母:この子は、たくさんの人に愛されてよかった。家に帰るのは大変なことだとわかっていたけれど、バギーとかを作ることになって少し希望が持てた・・・
せっかく家に帰ってきたのにつらいことばかりでなんだったんだろう。長島氏は悔しくて悔しくて涙も出なかった。それから、楽しく暮らすため自分ができることは何かを考えていった。
あるとき、あおぞら診療所の前田浩利氏の話をきいて衝撃を受けた。大学病院をやめて、あおぞら診療所で訪問リハビリの世界に飛び込んだ。
- <在宅支援の目的>
- 医師は、いのちを守る
看護師は、いのちを育む(はぐくむ)
福祉は、夢をつくる
そして、リハビリは、夢を広げる
~障がい児支援における多職種・地域連携~
戸枝陽基(とえだ・ひろもと)氏 NPO法人ふわり 社会福祉法人むそう理事長
- <ノーマライゼーションの理念>
- 障害者の住居・教育・労働・余暇などの生活の条件を、可能な限り障害のない人の生活条件と同じにする(ノーマルにする)こと。
- ① 1日のノーマルなリズム
- ② 1週間のノーマルなリズム
- ③ 1年間のノーマルなリズム
- ④ ライフサイクルを通じてノーマルな発達のための経験をする機会をもつこと
- ⑤ 願望や自己決定の表現に対してノーマルな尊厳が払われること
- ⑥ 男女両性の世界で暮らすこと
- ⑦ 他の市民と同じノーマルな経済水準が保障されること
- ⑧ ノーマルな環境水準が保障されること(両親や職員の環境水準もノーマルであること)
- <福祉サービスを構成する三要素>
- 介護スキル(障がい理解力)
ケアマネジメント(障害見立力・制度等知識力)
ソーシャルワーク(地域開発力)
ソーシャルワーカーといわれる人がたくさんいるが、本当はこの地域開発力、つまり社会資源を開発していくことができる人がソーシャルワーカーである。
一人暮らしができないが見守りができれば地域生活ができる障害者と、高齢者の夫婦世帯、彼らに一緒に暮らしてもらう。昼間は通所に通ってもらい、夜は夫婦の家で寝る。あるいは障害者のグループホームから障害者が仕事にでかける。地域に点在する拠点をマネジメントしていくのは、コンビニのようなコアセンターであり巨大な施設ではない。コアセンターは相談支援機能とバックアップ機能をもつち、請求事務や労務管理、研修などを実施する。
戸枝氏の話を聞いていると、個別支援をしているだけではだめであること、障害者がそれぞれの役割を持ち、地域で暮らしていくためには、それなりの仕掛けと人材、そして経営のノウハウが必要であることがよくわかる。
医師は、その人の障がいや病気に応じてどのような支援が必要なのかよく理解しているが生活についての理解度は低い。障害者に関わるヘルパーは、生活についての理解度は高いが、障がいや病気に応じて必要な支援についての理解度は低い。これからは、支援理解度と生活主体理解度の双方が高い人材を増やしてくことが大切である。
重心施設の立場から
鈴木郁子氏 毛呂病院光の家療育センター
重心施設は日本にしかない施設である。半分が病院で半分が児童施設という、医療と福祉の両面を持っている施設である。
施設にいる人間ではあるが、子どもと家族が分断していることには疑問を持ってきた。
隔離された施設で一生過ごすのではなく、家族とともに家や地域で暮らすことを目指してきた。1年のうち、半分を施設で、半分を在宅に過ごすようにすると、ベッドも倍使えるし、何より外の空気に子どもが触れることができる。
田中道子氏 あすか山訪問看護ステーション 所長
全国に3か所ある、訪問看護振興財団立の訪問看護ステーションの1つで、東京都北区にある。「こちらの訪問看護ステーションで、10軒目です。受けてもらえませんか?」お母さんから言われて受けたのが、小児の訪問看護を始めるきっかけだった。一人始めると次もある。こうして小児の訪問看護の件数が増えてきた。
しかし、現実的には、子どもの受け入れ可能な社会資源は乏しい。訪問看護ステーションはまだ少なく、在宅医も少ない。緊急時に受け入れができる病院も少なく、家族が疲れていても、預けられる短期入所施設や通所施設(レスパイトケア)も少ない。また、調整を親が行っていることも多い。
こうした現状から、小児訪問看護を支える会sukusukuや、小児地域連携会議の発足(東京都北区内の小児の在宅医療従事者の連携を作る)にも関わっている。
- <ディスカッション>
- 連携をするには共通言語が必要。
- 医療側は上から目線?! 福祉側はコンプレックス?!
SpO2? 障害者自立支援法? 同じ土俵でやり取りするのであれば、共通言語の基礎研修くらいやってからでないと。
この分野は、圧倒的に人材が足りない。100人くらいの専門性のある人材を育てるくらいの覚悟がないといけない。
商売には2つある。1つは、作ったものを売り切るという商売。これは現在の小児在宅の現状。買えない人がたくさんいる。これではいけない。もう1つは、現状から何がニーズなのか、ニーズにこたえるためにどうするのか、その仕組みを考えつつものをつくっていくやり方。こちらを進めていかないといけない。
【座長】
高宮有介氏 昭和大学医学部医学教育推進室
【演者】
船戸正久氏 大阪発達総合医療センターフェニックス園長
鍋谷まこと氏 淀川キリスト教病院、ホスピス・こどもホスピス病院院長
天野功二氏 聖隷三方原病院・静岡県立こども病院緩和ケアチーム
現在の小児医療の最大のテーマは、自分で意思表示ができない子どもの人権と尊厳をいかに守るかということである。
鍋谷氏からは、2012年11月に日本で最初に設立された緩和ケア小児科専門病棟についての話があった。病棟では緩和ケア小児病棟6床で、小児白血病や脳腫瘍などの子どもを受け入れる。感染症以外の面会制限なし。短期療養部門6床では、主に慢性の難病の子どもを対象に短期入院(最長で2週間)受け入れる。在宅人工呼吸管理の子どもも受け入れる。外来では在宅の子どもの通院と物品管理、将来的にはリハビリも行いたい。
天野氏からは、小児専門病院におけるend-of-life careの現状と課題というテーマで話があった。静岡県立こども病院の緩和ケアチームは2009年春に活動を開始した。2010年度からは小児緩和ケア勉強会を開催。2011年冬にグリーフケアチームが有志として発足、2012年4月よりグリーフケア部会、2013年1月に病院主催の遺族会を開催することが決定している。あゆみは遅いかもしれないが、小児緩和ケアの動きは、振り返ると着実に進んできているのを感じる。
【座長】
小沢 浩氏 島田療育センターはちおうじ
【演者】
京極 新治氏 福岡県 小さな診療所
横林 文子氏 京都府 よこばやし医院 チームドクター5事務局
宮田 章子氏 東京都 さいわいこどもクリニック
戸谷 剛氏 東京都 子ども在宅クリニックあおぞら診療所墨田
横林氏は、開業医5人でチームドクターファイブという診療所同士の連携を立ち上げた。休日や夜間の当番表をつくり、交代で休む体制も作った。7年間で情報共有した患者は175名でそのうち11名が小児・障がい児者だった。11名についての報告の後、小児には高齢者におけるケアマネジャーがいないこと、小児慢性疾患は大人になると適応からはずれること、などの問題が指摘された。京都では、3歳未満に対応する小児科外来診療料算定の医療機関では、在宅療養支援診療所として届け出ても在宅時医学総合管理料などが算定できないということがあるが、これは関東ではない。なぜ、地域によって制度がちがうのかという疑問も投げかけられた。
宮田氏は、小児神経医である。さいわいクリニックは現在、常勤小児科医師3名体制のグループ診療を行う珍しい診療所となっている。小児の在宅医療を始めたのは、まず一人の子どもの依頼からだった。ある病気の子どもを引き受け、その子どもの死から4年後、同じ家の兄弟を引き受けることになり、以後次第に在宅の子どもが増えてきた。現在9名の子どもの在宅医療を行っているが、4名が人工呼吸管理、8名が気管切開、9名が経管栄養、腹膜透析1名となっている。在宅診療に費やす時間は週8時間程度で、常勤医1名と非常勤医1名が担当し、往診時間は平均30分程度である。医療機関にとどまらず、医療福祉に関わるスタッフが参加するケース会議を継続して行っている。
戸谷氏からは、2011年4月に開院した子ども在宅クリニックの概要がまず報告された。開院1年8か月で、在宅児が130名という数は他には見られない規模である。東京はまだ小児の在宅医療体制が遅れ、訪問診療を行う医師や訪問看護ステーションも足りないが、それ以上に問題なのは、入院の受け入れ可能な病院が少なく、ホームヘルプやデイサービス、短期入所などの福祉サービスを利用している子どもも少ないことである。今後のさらなる取り組みに期待したい。
今回で3回目となる小児在宅医療・緩和ケア研究会は初めて12月の開催となった。前回は台風の直撃で司会の梶原さんなど、遠方の方が飛行機の欠航のため参加できなかったが、今回は冷たい雨の降る天気だった。しかし、会場は320名の参加者でほぼ満員の状態で、熱のこもった発表や意見交換が行われた。特に今回は、会場からの発言も多職種が目立ち、医師だけでなく、訪問薬剤師や、子どものお母さんからの発言も目立った。司会の進行も素晴らしかったし、最初に挨拶をされた細谷先生の核心をつくお話は胸に響いた。子どもの在宅ケア・緩和ケアについて、ともに学び、ともに高めあう仲間の輪が成熟してきているのを感じた。今回ご参加の皆さん、そして前田浩利先生はじめ準備や運営を担ってくださった皆さんに深く感謝したい。
これは、自分のノートとレジメ、つたない記憶をつづった個人的なのまとめです。情報量は参加していただくのが一番ですが、その一端に触れていただければと思い作りましたので、よろしければご自由にお役立てください。もし、追加してくださる方がおられましたら、アップをお願いします。
また来年も会場でお会いしましょう。
来る2013年が、地域で暮らす子どもと家族と、皆さんにとって良い年となりますように。