資料カテゴリ:旅行記

ハンガリー紀行

「冥土の土産」というくらいの気持ちで計画しましたが、休みをとる大切さを実感しましたので、生きていればまた行きたいと思います。
これは、私的な旅の記録です。お目通しいただければ幸いです。

1.なぜハンガリーだったのか

大学時代にずいぶんと行き来をしてお世話になったKさんご夫妻が、退職後の暮らしの場所として選んだのがハンガリーでした。物価が安く暮らしやすく、ワインがおいしい、などいろんな理由があったのだろうと
思いますが、2001年頃にKさんは日本の自宅を売り、ブダペスト近郊のCsomor(チョムル)市に家を購入して移住されたのです。

Kさんからは、手紙やメールで「いいところだから」と、何度かお誘いを受けていたのですが、2002年に在宅医療を主とする開業をしてしまい、そんなに休めるものでもないのであきらめていました。

ちなみに私が社会人になってから海外へでかけたのは、1985年の新婚旅行の時と、NYテロ事件に遭遇した2001年9月のアメリカ東海岸ホスピスツアーの2回でしたが、かすかな希望を抱いてパスポートは
更新していました。

ある日、Kさんから、「そろそろ日本に帰国するから、来るなら今のうち」という連絡が届きました。ハンガリーがどんなところかも知らないのに、「行くなら今だ!」とハンガリー行きを決意しました。

2.1週間の休みを確保する

それから、準備にとりかかりました。今の自分の仕事を考えると1週間の休みが限界だったので、どのタイミングがいいか考えました。月、火、木、土の週4日の外来には迷惑をかけたくないこと、気候がよく風邪が流行しない時期ということで9月を選び、月曜日が祝日の週を含む、9月10日から16日までとしました。水曜日が休診日なので、8日間の休みを確保しましたが、最後の17日は時差ボケ解消と仕事前の準備のための予備日としました。

この間の外来は、自治医大地域医療学のU先生とI先生にお願いすることができました。在宅医療も定期訪問は前後に調整し、連携診療所の先生方に留守をお願いしました。こうして、休みを確保することができました。妻は新婚旅行以来の海外旅行、子どものうち2人が1週間の休みをとって一緒に同行してくれることになりました。

3.航空会社を決める

人数が確定したところで、航空会社の選定に入りました。ブダペストは成田や羽田からの直行便がない空港ですが、ヨーロッパの主要空港からの乗り換えは豊富です。私はJALやANA、ルフトハンザなどを考えていて、フィンランド航空でヘルシンキ乗り換えもいいともいわれましたが、Kさんは、乗り換え便はトラブルがあると一日遅れるリスクがあると言われました。仕事に穴をあけることは許されません。そこで、Kさんお勧めのオーストリア航空を使い、行きはウイーンで乗り継ぎ、ブダペストへ、帰りは前日に列車でウイーン入りして、ウイーンから成田への直行便に乗るプランにしました。

以下が、実際に使った移動手段です。

 

 9月10日 成田 → ウイーン/ウイーン → ブダペスト(オーストリア航空)
 9月14日 ブダペスト → ウイーン 列車(QBB)で3時間
 9月15日 ウイーン → 成田へ16日着  (オーストリア航空)

4.ハンガリーという国

ハンガリーは、オーストリアの東隣に位置する国です。かつての東ヨーロッパ諸国のひとつであり、人々はマジャール語を話します。英語はブダペスト以外ではあまり通じません。

人々は飲み水を購入します。それは、この辺りの水には石灰成分が入っているため、ずっと飲んでいると胆石など体内に石がたまるかららしいです。間違って炭酸ガス入りの水を買ってしまったことから、Kさんに尋ねたところ、ガス入りは紫のフタ、ガスなしがピンクのフタでした。

ユーロ圏ではありますが、経済的にいまひとつということで、通貨は統合に至らず、通貨はフォリントです。100フォリントはおよそ45円で物価は日本に比べるとかなり割安で、日本人にとっては暮らしやすいところです。ワインやフォアグラの産地でもあります。

5.ブダペストの街

国際観光都市らしく、きれいな街並み、外で飲み食いできるカフェ、そして、ドナウに映る夜景。これがドナウの真珠か、と息をのむ美しさです。日本にも夜景のきれいなところがありますが、町の灯りがきれいという域を出ません。ブダペストでは、鎖橋、王宮などの歴史的建造物がライトアップされ、それ自体がブダペストの夜景を構成しています。これには参りました。写真をとりましたが、ライブ感はやはり現地でしか味わえないかもしれません。連れてきてくださったKさんに感謝です。

ビアバイクというのにも遭遇しました。ビールサーバー搭載の大きな自転車を、観光客が飲みながら足でこいで街を進むという、なんとものどかな乗り物です。それを見ている私たちもカフェで飲んでいました。

6.世界遺産ホロークー

世界遺産のホロークーは、人口およそ400人の小さな村。昔ながらのワラと土と木で造られた家々の壁は白く塗られ、独特の景観をなしています。

9月ともなると観光シーズンも終わり、石畳の修理や家の壁を直す工事かはじまっているので空いていました。お店で素朴な刺繍工芸品を土産に求めました。ただ、オフシーズンの平日は店も閉まっているらしく、土日がお勧め。今回は雨模様の空でオフシーズンだったこともあり、村のおばさんたちが民族衣装で歓迎する催しはありませんでしたが、晴れて運が良ければあるようです。地元在住の方によると、いちばん賑わうのがイースターだそうです。白い壁の家が並ぶホロークーは、何処か懐かしい雰囲気のする心地よい村でした。

7.モフェタ

ホロークーからエゲルへ向かう途中で、モフェタに立ち寄りました。ここには、世界でも滅多にない(2か所?)二酸化炭素の噴出泉があります。雪が降り、そこで暖を求めた家畜が死んでしまったことから発見されたそうのです。ここでしか体験できないだろうということで、二酸化炭素ヒーリング風呂を体験。お値段は、一人1700フォリントとやや高めでした。お風呂といっても、お湯はありませんので、服を着たまま入ります。地中から出ている二酸化炭素をひいてあるすり鉢状の浴槽に座ります。

まず、係りのお兄さんが、ろうそくに火をつけます。腰のあたりまでそのろうそくを下げていくと、フッと火が消えます。二酸化炭素は空気より重く下にたまっている証しです。もうひとつ、上の方でシャボン玉を作るとある高さでシャボン玉が停止して漂います。シャボン玉にはいっているのは空気なので、二酸化炭素より軽くて浮くのです。

ちなみに、ここの温泉効能は、動脈、静脈、毛細血管を拡張し血圧を下げるなどなどでした。確かに15分ほど入ってた後に血圧を測ると後のほうが血圧は下がっていました。

8.エゲルとワイン

ハンガリーワインとの出会いは、30年前にさかのぼります。学生時代にまだチェックポイントチャーリーから入らねばならなかった東ベルリンでのこと。日帰りの入国に25ドイツマルクを通貨交換しました。東ドイツマルクは、西側に持ち帰っても二束三文なので、使い切るつもりで少し豪華なランチを頂きました。その時出たのがハンガリーのワインでした。白ワインでしたがフルーティで薄く琥珀色でした。こんなに美味しいワインがあるんだと感動しました。以来、30年ぶりのハンガリーワインです。

Kさんに連れて行ってもらったのは、美女の谷で有名なエゲル。ここには、美女はいませんがワインの蔵がずらりと並んでいるのです。エゲルの美女の谷でワインの試飲するには、「プロバー」と言う。グラスに少し入れてくれる。美味しかったら購入しよう。

私は白ワインのZenptを選びました。日本に持ち帰るつもりが、ペットボトルにいれてもらったといったら、飛行機では気圧の関係でもたないから飲んでしまった方がいいんじゃないの、とKさんがささやき、
結局Kさん宅で飲んでしまいました。おつまみはヒマワリの種です!

普段はほとんど飲まないので、毎日ワインを頂いたこの数日には感謝しています。

9.ウイーンの調べ

帰国する日の前日にブダペストからウイーンまで列車で移動しました。およそ3時間、車窓を楽しみました。ウイーンはドイツ語圏で、通過がユーロという国です。駅でユーロを入手してからホテルへ移動し、まず荷物を置きます。午後から市内観光でした。

夕方からはKさんがキープしてくださった楽友会館のコンサート。その夜は、クリーブランドオーケストラの演奏会が開かれていました。曲目はブラームスの交響曲第一番ほか。3階席のほぼ中央から見るとこのメインホールの素晴らしいこと。音楽専用のホールは日本にどれくらいあるのでしょう。音響の良さ、聴衆は、老若男女が集い、幕間にはシャンパンを楽しむ人々。やはり音楽を愛でる文化は素晴らしいと感じました。

10.おわりに

Kさんご夫妻には何から何までお世話になりました。

ブダペストの空港には迎えに来ていただき、チョムルのご自宅に4泊お世話になりました。夜景の見える丘をはじめとして、市内観光や、一日を費やしてホロークー、モフェタ、エゲルと車で案内していただきました。また、何ということでしょうか、ウイーンまでの列車の旅と、その夜はウイーンでブラームス1番の演奏会もご一緒してくださいました。さらに現地のネットワークを駆使して翌朝の空港までのタクシーの手配でもお世話になり、最後の朝は見送りまで来てくださいました。

そういう意味では、今回は普通の海外旅行ではありません。私が自分でやったことと言えば、休みを確保することと、航空券を手配することだけで、到着してからほぼすべてはKさんご夫妻にお世話になったのです。改めてKさんご夫妻には心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。

 

クリニックとうりずんのスタッフ、外来診療や在宅医療でお世話になった先生方、訪問看護ステーション、そしてご利用者の方など、多くの方のおかげで行ってくることができたことに感謝いたします。
出発前は、本当に休みがとれるのかどうかというくらい働きましたが、やはり思い切って行って来てよかったです。

 

この1週間はかけがえのない時間でした。帰国してから、自分の中に新たなエネルギーが宿るのを感じました。
休みを取り、仕事のことを考えずに過ごすことはとても大切なことなのでしょう。

これを読んでいただいた皆さん。次は皆さんの番です。
お目通しいただきありがとうございました。

 

高橋 昭彦